【37】国体と高校野球(上)

 「日本高野連理事・田名部和裕 僕と高校野球の50年」

 今年の国民体育大会は和歌山県で「紀の国わかやま国体」として今月26日に開幕する。

 国体は、戦後翌年の1946年、第1回が京阪神で開かれ、高校野球も最初から参加し、この年の夏に行われた中等野球・復活大会(西宮球場)で優勝した大阪・浪華商が国体でも再び優勝している。

 第1回当時の逸話について「佐伯達夫自伝」(ベースボールマガジン社)で、佐伯さんは次のように語っている。

  ◇  ◇

 終戦の翌年、西宮球場で中等野球の復活大会を成功させたのを見た日本体育協会の平沼亮三会長と清瀬三郎専務理事が大阪にやってきて「国体を開きたいが東京ではとても開催できる状況にはない。関西で開けないだろうか」と相談があった。

 当時いち早く結成していた関西スポーツ連合(春日弘委員長)で検討した結果、「十分なものはできないかも知れないが、引き受けよう」となった。

 中等野球は藤井寺球場で、実業団野球は西宮球場で開催した。入場料は30銭と安価であったが、それでも野球だけで10万円の収益があった。野球は日体協の加盟団体ではないので開催協力という形で公開競技とし、参加チームの費用も独立会計だった。

 ところが他の競技は補助金程度で、高校野球のように全額は出なかった。そのことが他の競技から異論が出て東俊郎国体委員長から「高校野球を正式競技にするから独立会計を止めて欲しい」と申し入れがあった。

 それまで高校野球の参加チームは、補助金はおろか、団体列車にも乗せてもらえなかった。今後は他の競技と同じ扱いにするという条件を確認、第十回(神奈川)から高校野球は正式種目となった。

  ◇  ◇

 高校野球の有料開催は数例を除いて今も続き、大人700円、中高生200円だ。その収入はすべて開催地実行委員会の収益とし、高野連は一切受け取っていない。

 ところで76年の第31回(佐賀)から正式種目は体協加盟団体に限るとされ、再び公開競技になった。

 さらに国体は二巡目を迎え大会規模の見直しや開催県の財政負担軽減などが議論され、様々な改革があった。その一環で公開競技も日体協加盟団体に限るとなり、今年の和歌山県から高校野球は「特別競技」として例外的に継続開催されることになった。

 高校野球や大学野球が日体協に加盟しないのには、戦後、野球統制令が廃止され、自主独立団体として日本学生野球協会が発足した経緯があるからだ。

 なぜ高校野球だけが有料かとよく聞かれた。多くの観客が来場するため、入場整理券が必要だということもあるが、開催地の財政負担を少しでも軽減する意図もある。

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