【31】立候補制になった選手宣誓 大事に育みたい積極性
「日本高野連理事・田名部和裕 僕と高校野球の50年」
開会式は選手宣誓で最高潮を迎える。照りつける朝日の中、選手代表が駆け足で演台に向かう時、場内は一瞬静寂になる。
「宣誓!…」。よどみなく全神経を集中させてほとばしる言葉。
いつの大会でも感動する。無事終わると球場全体が息を吹き返し、ホッとした空気とともに徐々に大きな拍手が沸き起こる。
選手宣誓で思い出すことがある。2000年の第82回選手権大会中のこと、作家の佐山和夫さんから大会本部に電話をもらった。
「今朝の新聞で、昨日敗れた米子商の主将の話を読んだか」
杉森克彦主将はレギュラーではない。試合中は三塁コーチャーズボックスが彼の定位置だ。彼は鳥取大会を勝ち抜いて甲子園出場を決めた時から「甲子園で全選手を代表して選手宣誓をやるぞ」と心に決め、その宣誓文を推敲(すいこう)して持参してきていた。
当時は抽選会で主将がくじを引いて決めていた。惜しくも宣誓は他校の主将になった、という趣旨の記事だった。
佐山さんは「積極性こそ教育の根幹をなすものだ」と言われた。
いやいや宣誓をする主将もいないではないが、全選手を代表する宣誓は積極的に「やります」という主将から選んだほうがよいのではないか、との提案だった。
何か困ったことが起きた時、またピンチの時「それ、僕がやります」と失敗を恐れず立ち向かう姿勢、これこそ日頃スポーツで鍛えた心身を生かす時だと思う。
大会本部で翌年からの採用を話し合った。
抽選が終わり、選手宣誓を決める場面で、いきなり「選手宣誓をやりたいキャプテン、手を挙げて下さい」と呼び掛ける。すぐさま人数を数え、当たりくじと必要な数の空くじを揃え、机に並べて希望者に引いてもらう仕掛けだ。
「誰も出なかったらどうしよう」、「何人ぐらい手を挙げるかなぁ」。色々心配の種もあった。
でも事前には一切漏らさずハプニングでやることになった。
果たして23人が挙手、第83回大会の選手宣誓は、松山商・石丸太志主将が引き当てた。心境は皆が手を挙げるのでつられて応募したのが本音だったとか。
以来、毎回積極的に応募する主将が、部員と相談して文案を練り、甲子園への思いを高らかに宣誓している。
選手宣誓をした学校が夏の大会で全国優勝したのは、戦前では中京商が2回と広島商。戦後は松山商(35回)、銚子商(56回)、そして横浜(80回)の3校だ。今年の主将が4校目になるか、それも楽しみだ。