【26】育成功労賞に込めた願い

 「日本高野連理事・田名部和裕 僕と高校野球の50年」

 平成14年(2002年)秋、脇村春夫会長が就任後の重点課題にプロ野球との関係改善と、優れた指導者の顕彰を挙げた。

 大正4年(1915年)、大阪・豊中市で始まった現全国選手権大会は、大会創始の目的に「野球を通じて青少年の健全育成を図る」を掲げ、世紀を超えて引き継がれている。

 その根幹を担っているのが現場の指導者たちだ。相変わらず各地で不祥事が起き、中には体罰に走る指導者もいた。不祥事の根絶には、身近なよい手本を示すことが何より有効な手立てではないかと考えた。

 全国大会に出場したことはなくても立派な指導者は沢山おられる。尊敬される指導者を顕彰することで、次代を担う若手指導者に高校野球の精神を継承していただけるはずだ。

 関係者と顕彰規定を相談、加盟校の責任教師や監督として通算20年以上の実績を重ね、優れた指導をされた方を各都道府県連盟から推薦してもらう。

 当初は「イヤーオブザコーチ」と英語表記を考えていたが、この表記はおかしいと指摘をいただき、その後「育成功労賞」に改めた。

 さて、表彰盾をどうするか。まず盾の外形は阪神甲子園球場を模(かたど)ることにした。問題はシンボルとなる意匠だ。指導者と部員のコミュニケーションはやっぱりノックではないか。「行くぞ!」「お願いします」「もう一丁」「よし!」だんだん息が荒くなる。ノックで心が通じ合う時が流れる。

 かつて読んだ学生野球の父「飛田穂州選集」の中に確かノックの写真があったことを思い出した。外野に飛球を打ち上げている写真だ。飛田さんの姿をレリーフにしよう、と思い立ち、当時日本学生野球協会の長船騏郎事務局長に相談した。飛田さんの、早大の後輩でもある。早速ご遺族の了解を取り付けてくださった。

 あとは表彰の方法だ。49人の受賞者のうち各ブロックから毎年甲子園に8人を招待して表彰することにした。大会のいつにするか。開会式は時間的に無理。すると最適は8月15日だ。終戦記念日で正午に黙とうを捧げる。第1試合後にグラウンドで表彰した後、正午にベンチ前で整列、黙とうをしていただいた。

 本来は戦争の犠牲になった方への鎮魂の黙とうであったが、受賞者の皆さんにはそれに加えて「積極的に平和を願う」気持ちを加えて欲しいとお願いしている。平和な時代に高校野球ができることを深く感謝したいからだ。

編集者のオススメ記事

田名部和裕「僕と高校野球の50年」最新ニュース

もっとみる

    スコア速報

    主要ニュース

    ランキング(野球)

    話題の写真ランキング

    写真

    デイリーおすすめアイテム

    リアルタイムランキング

    注目トピックス