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床田が継承 広島パーム伝説

 元中国新聞記者でカープ取材に30年以上携わった永山貞義氏(72)がデイリースポーツで執筆するコラム「野球爺のよもやま話」。広島商、法大でプレーした自身の経験や豊富な取材歴からカープや高校野球などをテーマに健筆を振るう。

  ◇  ◇

 今年、カープの床田寛樹が投じるパームボールを見ていると、ある一つの野球用語が頭の中に浮かんできた。多種多様な変化球が全盛の時代の中にあっても、今や死語になっている感じの「魔球」。めったに使い手のいない「絶滅危惧球」といえる代物とあれば、その名に値するだけの呼称ではあろう。

 「魔」とは「漢字源」(学習研究社)によると、「人をしびれさせて、害を与えるもの」とある。この意味を「魔球」と野球用語の熟語に転化すると、「ファンをしびれさせて、相手打者に害を与える球」とも翻訳できよう。だからこそ床田の揺れ動いて落ちるパームを目にした時、打者が戸惑うその痛快さに誰もが目を丸くするのかもしれない。

 パームといえば、かつて320勝投手、小山正明(阪神、ロッテ)の専売特許といわれていたが、カープにもそれを代名詞とする投手がいた。北別府学と同期の小林誠二である。もともとは球の速さが一番の売りだった本格派。実際、1年目に北別府より一足早くデビューを果たしたが、成果を出せぬまま4年目に右肩痛でやむなく横手投げに変えたのが転機となった。ここからその野球人生は静かに始まり、カーブが投げられなかった代用品としてパームを覚えて切り開けたといっていい。

 西武に移籍した1981年、ここで封印を解いたそれが文字通りの「魔球」となって、相手打者をきりきり舞いさせたのは、カープに復帰した84年だった。その実態については当時、私が「ザひろしまFM」(みづま工房)という小冊子に寄稿したエッセーの中で書いている。これを借りると、主文は以下の通り。

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 『小林のパームは打者の目から見れば1度、浮き上がってから、最後はホームベース上でストンと大きく落ちるらしい。かつてグリコに「1粒で2度おいしい」との名コピーがあったが、小林のパームもそれ。打者にとっては浮いて落ちてと、2度の変化を味わわされるんですな。その結末はほとんど空振りである。』

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 かくして中継ぎ、ストッパーとして重用された同年は11勝4敗9セーブと大活躍。最優秀防御率のタイトルも獲得し、4度目のリーグ優勝、3度目の日本一の立役者の一人となっている。その力投に報いるため古葉竹識監督がマジック1で迎えた横浜戦で先発させ、プロで唯一の完投勝ちで優勝を決めたというのも、小林のパーム伝説を彩る脚色ではあった。

 こんな小林を思い出させたのは、もちろん床田がパームの使い手になってきたからである。ただ小林のそれが、これほどの威力を発揮するまでに4年の歳月を要したのに対し、床田の出し物は昨夏から投げ始めたばかり。まだ改良の余地がありそうなだけに、「魔球」にまで熟成すると、どれほどの武器になるのか楽しみになってくる昨今だ。

 床田によって、こちらの頭の中によみがえってきたのは小林だけではない。大野豊もそうである。この左腕も切れ味抜群の速球を軸に、「七色の変化球」の中の一つとしてパームも操った。しかし、小林のようなウイニングショットではなく、相手打者を時折、びっくりさせる球として使った点で大きな違いがあった。

 現時点での床田のパーム使用率も、全体の10パーセント台。そのほかにも、多彩な変化球を投じる本格派とあれば、まさに大野をほうふつさせる左腕ではないか。今後は「魔球のパーム」と同時に「大野二世」との二つの視点で、その本格派兼軟投派ともいえる投球に注目していきたい。(元中国新聞記者)

 ◆永山貞義(ながやま・さだよし)1949年2月、広島県海田町生まれ。広島商-法大と進んだ後、72年、中国新聞社に入社。カープには初優勝した75年夏から30年以上関わり、コラムの「球炎」は通算19年担当。運動部長を経て編集委員。現在は契約社員の囲碁担当で地元大会の観戦記などを書いている。広島商時代の66年、夏の甲子園大会に3番打者として出場。優勝候補に挙げられたが、1回戦で桐生(群馬)に敗れた。カープ監督を務めた故・三村敏之氏は同期。阪神で活躍した山本和行氏は一つ下でエースだった。

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