佐藤義則氏「打席から伝わる威圧感がすごかった」フルスイング貫いた門田氏を悼む

 南海、オリックスなどで活躍し、プロ野球歴代3位となる通算567本塁打を放った門田博光氏が死去した。享年74。現役時代に何度も対戦し、またオリックスでは2年間、チームメートとして過ごしたデイリースポーツ評論家の佐藤義則氏(68)が希代のアーチストの死を悼んだ。

   ◇  ◇

 引退後、門田さんとは特に交流はなかったし、門田さんも公の場に出ることはほとんどなかったけど、たまにテレビで姿を見た時は、すごく痩せていて体調も悪いんじゃないかと心配していた。亡くなったと聞いてショックだし、残念という言葉しか出てこない。

 現役時代は何度も対戦した。門田さんといえばフルスイングが代名詞。常に一発しか狙っていないような打者だった。170センチと上背はなかったけど、打席でバットを立てて構える姿にはすごい威圧感があった。抑えるためには、こちらも力勝負しかない。とにかく内角にどれだけ投げ切れるか。投げミスは許されない。コースを間違うと、右にも左にもスタンドへもっていかれた。

 山田(久志)さんとの名勝負も忘れられない。山田さんは直球しか投げなかったし、門田さんも渾身(こんしん)のフルスイングで応えた。力と力の勝負を見せてもらった。試合前の打撃練習では、バッティング投手に前の方から全力で投げてもらって、それを全力で打ち返す練習をしていたことが印象に残っている。

 歴代3位の567本のホームラン。「(本拠地の)大阪球場は狭かったから」という人もいるかもしれないけど、門田さんはスタンド上段までよくかっ飛ばしていたから、球場の広さはあまり関係なかったと思う。それに意外に知られていないことだけど、当時南海がホームゲームで使っていたボールはあまり飛ばなかった。そのボールをうまくバットに乗せて角度をつけて軽々とスタンドインさせるのだから、打撃技術も卓越したものを持っていた。

 当時のパ・リーグには山田さんだけでなく、鈴木啓示さん(近鉄)、村田兆治さん(ロッテ)、東尾修さん(西武)といった超一流の投手が数多くいた。ハイレベルな戦い中で本塁打を量産し続けたのだから、門田さんもまた超一流のアーチストだった。

 88年オフに南海が身売りされた時、阪急もオリックスに身売りされ、門田さんが移籍してきた。チームメートとして2年間、同じ釜の飯を食った。南海時代は孤高の人のイメージが強かったけど、意外によくしゃべるし、一緒にいて楽しかった。「年を取ると、バッターは目が弱ってきてダメになる。今まで打てていた球が打ち損じてファウルになる」とよく嘆いていた。そう言いながらもオリックスでも2年連続で30本以上のホームランを打った。

 フルスイングが代名詞の選手といえば、今の時代では村上(ヤクルト)や山川(西武)らがそうだけど、まだまだ門田さんの域には及ばない。門田さんは40歳の時にもフルスイングを貫き通して44本塁打、125打点で2冠王になった。彼らも40歳になった時に門田さんと同じような数字を残せていたら、初めて並んだといえるんじゃないかな。

 昨年の村田さんに続いて、また一人、昭和のレジェンドが亡くなった。同じ時代を戦った者として、とても残念でさみしい。ご冥福をお祈りします。

 ◆門田博光VS佐藤義則 13年間で通算112打数34安打、8本塁打、20打点、24三振、打率・304

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