西武・松坂「一番良い思いと、どん底を同じぐらい経験した選手はいない」【一問一答】
「西武2-6日本ハム」(19日、メットライフドーム)
今季限りでの引退を表明していた西武・松坂大輔投手(41)が19日、埼玉・所沢市内の球団事務所で引退会見を行った。その後の日本ハム(23)戦(メットライフ)では引退試合として先発のマウンドに立ち、1番に座った横浜高の後輩、日本ハム・近藤健介外野手(28)に四球を与えて降板。23年間のプロ生活に別れを告げた。以下、松坂との一問一答。
◇ ◇
-率直な気持ちは。
「今日という日が来てほしかったような来てほしくなかったような、そんな思い」
-こういう日が来てほしいと思う理由は。
「引退発表があってからも、僕自身がなかなか受け入れられなかった。ただ発表してから3カ月間、やれそうだなと思った日は一度もなかったので、早く終わらせられたらいいんだろうなと思いながら過ごしていた」
-誰かに相談は。
「もう難しいかもしれないという話は家族にはしていた」
-家族はどんな反応を?
(言葉を失い、目に涙を浮かべながら)
「辞めると決断した時に妻に電話したんですけど、その時に息子がいて…本当に長い間お疲れさまでしたと言われましたし、僕の方からも長い間サポートしてくれてありがとうと伝えました」
-今後について。
「家族と過ごす時間を増やしながら、違う角度で野球を見たい。野球界、スポーツ界に何か恩返しできる形を作っていけたらいいなと」
-23年間を振り返って。
「故障との戦いだった。最初の10年間があったから、ここまでやらせてもらえた。僕みたいな、一番良い思いと、どん底を同じぐらい経験した選手はいないかもしれない」
-自身で松坂大輔を評価して。
「長くやったわりには、思ったような成績を残せなかったなと。通算勝利数も、ほぼ最初の10年での数字。そこからさらに上乗せできると思っていた」
-褒めてあげたい部分は?
「諦めの悪さを褒めてあげたい。諦めずによくここまでやってきたなと。最後は、これまではたたかれたり、批判されたりすることに対して、それを力に変えてはね返してやろうと思ってやってきたけど、心が折れたというか、受け止めてはね返す力がなかった」
-18番への思いは。
「小さい頃にプロ野球を見始めて、(巨人の)桑田さんの背番号18がものすごくかっこよく見えた。エースナンバーと知る前から、プロに入って投手をやるなら、18番を付けたいなとずっと思っていた。最後にまた18番を付けさせてくれた球団には感謝したい」
-松坂世代へ。
「本当にいい仲間に恵まれた。自分の名前が付く以上、その世代のトップでなければならないと思ってやってきた。最後の1人になったツヨシ(ソフトバンク・和田)には、僕の前に辞めていった選手が僕らに託していったように、まだまだ投げたかった僕の分も投げ続けてほしい」
-やり残したことは。
「西武に入団した時に東尾さんに200勝のボールをいただいたので、自分自身が200勝をしてお返ししたかったなと」
-家族へ。
「妻と結婚する時、批判の声もたくさんあると思うけど守っていくからと言って結婚してもらった。半分以上、それができなくて本当に申し訳なかった。ここまでサポートしてくれてありがとうございましたと言いたい」