元球審・永野元玄さん 延長十八回の試合球「負けていなかった時のボール」手渡した
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8月29日に閉幕した夏の甲子園。智弁和歌山と智弁学園の決勝戦を最後に、一人の審判が聖地を静かに去った。1979年夏の3回戦で、箕島との延長十八回を一人で投げ抜いた星稜のエース堅田外司昭さん(59)は、社会人野球から審判員の道へ進み、2003年から19シーズン、甲子園で試合を裁いてきた。堅田さんの人生を支えたのは、208球を投げた敗戦後に球審から手渡された1球のボール。
堅田さんに試合球を手渡した元球審の永野元玄さん(85)は、当時の心境を「自分の経験も関係があった」と言う。53年夏の甲子園に土佐の主将、捕手として出場。松山商との決勝に進出し、九回あと1球で優勝という場面でファウルチップを補り損ねて延長戦で敗れたことが星稜の悲運に重なった。延長十八回。肩で息をしながら投げる左腕の姿に「ごくろうさんという気持ち」で手渡したのは「まだ負けていなかった時のボール」。サヨナラになる前の土の付いた物だった。