侍ジャパン金!北京の雪辱、稲葉監督涙の5度舞い ノムさん&仙さんに届けた!
「東京五輪・野球・決勝、日本2-0米国」(7日、横浜スタジアム)
決勝戦が行われ、日本が米国を2-0で下し正式競技となってからは初の金メダルに輝いた。稲葉篤紀監督(49)はゲームセットの瞬間、目に涙を浮かべ感慨に浸った。仲間達の手によってマウンドで計5度、胴上げされた指揮官。オールプロで臨んだアテネ五輪から17年、「結束」を合言葉に全勝で最高のメダルへとたどり着いた。
日本球界が待ち望んだ瞬間が、ついに訪れた。24人の侍の手で5度、宙に舞った稲葉監督。あふれる涙でぬらした顔は、満面の笑みに塗り替えられた。
「もう最高です。選手の勝ちたい、金メダルを取りたいという思いが結束した」
監督経験がない状態で始まった頂点への挑戦。闘将と知将-。2人の恩師から受けた薫陶が礎となった。1人はヤクルト時代の監督である野村克也氏だ。
「野村監督の教えで印象的なのは『備えあれば憂いなし』の言葉。しっかりと準備をして戦うことで、開き直れる権利が生まれる」
海外視察、各球場や自宅で複数試合を見ながらの候補選手チェック、試合のシミュレーション…。妥協せず、昼夜を問わず、多岐にわたる準備を重ねた。
「野球人である前に社会人である」と人間育成の大切さも学んだ。それはベンチでのユニホームと帽子の着用、グラウンドへのつば吐き禁止などを定め、誇りと責任を求めた。
戦いに挑む覚悟を刻み込んでくれたのは、選手として参加した08年・北京五輪で監督を務めた星野仙一氏。そのチームを鼓舞する姿に「戦いに行く、倒しに行くぞという言葉は緊張感が走った」と圧倒されたという。
臀部(でんぶ)を痛めていた五輪直前には星野監督から電話がかかってきた。「お前、出たいんか出たくないんか、どっちや!」の問いに「出たいです!」と答えると、そのまま電話を切られた。闘将の言葉に「そこでケガをしてもいいという気持ちになった」と迷いが消えた。
稲葉監督が選手に求める代表への思い、その原点。「熱い気持ちを持っている選手は『どこでも行きます、どこでも投げます』と言ってくれる。それはチームにとってすごく大事」と日の丸を背負う覚悟を問うてきた。
大会前に星野氏の墓参りを希望した際は、遺族らに勝負事への配慮で「北京で負けた監督へあいさつに来ても大丈夫ですか」と気遣いを受けた。それでも「星野監督が北京で呼んでくれて成長させてくれた。行ってきますと、しっかりあいさつしたかった」と墓前に手を合わせた稲葉監督。闘将が追い求めた全勝での金メダル獲得で、恩返しを果たした。
天国の恩師だけではない。観戦した王貞治氏、準決勝前に電話で激励された長嶋茂雄氏、先人たちの思いも乗せて戦った。「テレビの前でたくさんの方も応援してくれた。みんなでつかんだ勝利だと思う」。感謝を胸に駆け抜けた旅路は、最高のフィナーレを迎えた。