【悼む】木内幸男さん死去 選手を乗せた取手二のびのび快進撃

 取手二(茨城)、常総学院(茨城)の監督として春夏通じて甲子園3度の優勝に導いた木内幸男氏が24日午後7時5分、肺がんのため茨城県取手市の病院で死去した。89歳だった。茨城県出身。甲子園には春7度、夏15度出場し、歴代7位の通算40勝。選手一人一人の能力を引き出し、大胆な選手起用や戦法で「木内マジック」と呼ばれた。葬儀・告別式は30日の予定で喪主は娘婿の岡田誠(おかだ・まこと)氏。

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 取手二を率いて夏の甲子園を制した1984年、大会前に優勝候補の一角には挙げられていたものの、全国的には全く無名に近い存在だった。後に「木内マジック」と呼ばれたような采配の妙も特になかった。オーソドックスな戦い方で、あれよあれよと勝ち進んだ記憶がある。

 その背景には石田文樹、吉田剛という投打の軸がしっかりしていたことがあった。チームは甲子園という大舞台に気後れすることなく、変に落ち着いていて、そしてまとまっていた。選手時代の実績がほとんどない木内氏は技術的な指導はほとんどせず、ノックバットを手にすることもなかった。

 ただ、選手を乗せるのがうまかった。手綱を締めたり、緩めたりする調節が実に巧みだった。当時はまだ50代前半だったが、まるで子どもたちを優しく包み込むおじいさんのような雰囲気を醸し出し、選手にのびのびとプレーさせていた。

 取手二、常総学院時代を通じて、ウソのつけない人だった。正面から質問すれば、しっかりと受け止めて答えてくれた。とにかく裏表のない人だった。功名を立ててからも飾ることなく、生まれ育った茨城弁を貫いた。それが木内幸男の生きざまだった。合掌(1981~86年デイリースポーツアマ野球担当・大加戸康一)

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