沖学園・三浦、遠縁の怪童・尾崎行雄さんに胸張る

 7回、全力で一塁へ駆け出す沖学園・三浦。右は根尾
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 「第100回全国高校野球選手権・2回戦、大阪桐蔭10-4沖学園」(13日、甲子園球場)

 偉大な親族と同じ舞台で持てる力を尽くした。無安打2三振と結果を残せなかった沖学園・三浦慧太外野手(3年)だったが、「甲子園は憧れで楽しみだった。悔いはない」とスッキリとした表情を見せた。

 甲子園を目指すきっかけになったのは、遠縁にあたるプロ野球・東映フライヤーズの尾崎行雄氏だ。1961年夏に浪商のエースとして聖地で優勝投手になった「怪童」である。

 幼少期から祖父母にその存在を聞かされてきた。中学1年生の時。夏休みに初めて練習を見てもらう約束ができた。だが、直前に尾崎氏が死去。対面はかなわなかった。

 参列した告別式の終了後。突然親族から尾崎氏が現役時代に使っていたユニホームを託された。親族内で球児は三浦しかいなかったからだ。それ以来「ユニホームをいただいたからには、絶対に甲子園に行くんだ」と決意し、野球への取り組みも変わった。

 尾崎氏のように甲子園優勝は果たせなかったが、同校にとっての甲子園初出場で初勝利という確かな一歩を刻んだ。自身も初戦の北照戦では2安打を放った。今後は大学進学を目指す。「中学までは投手だったので、大学では再び投手を挑戦したい。尾崎さんみたいな剛腕投手になってプロを目指します」。聖地で新たな誓いを立てた。

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