オリックス・岩崎 中日からのトレード後に経験した忘れられない試合

 【第2の人生へプレーボール】

 今オフも多くの選手が所属チームを退団した。新天地に働き場所を求める者、引退して指導者として歩み出す者がいれば、ユニホームを脱いで新たな世界に挑戦する者もいる。彼らの第2の人生にエールを込めて、スポットを当てる。オリックス・岩崎恭平内野手(31歳) を追う。

  ◇   ◇

 9年間のプロ生活を振り返れば、よみがえってくるのは中日時代、ルーキーだった2009年のキャンプだった。

 即戦力内野手として入団した岩崎。その練習量に驚いた。早出でノック、全体練習を終えてまたノック。

 「物覚えが悪かったんで(苦笑)、コーチに迷惑掛けましたね。暗くなってからランニングでした。こんなにプロってキツイんだって思いました。そのおかげで野球の体力が身につけられたと思います。今でも高卒の選手と走っても負けないし、長距離も走れる」

 ただ、当時の中日の内野陣といえばブランコ、荒木、井端、森野。あまりにも高い壁が行く手を阻んだ。プロ初安打は5年目の2013年。その年の9月23日には地元の横浜スタジアムで三浦から左翼へ運ぶプロ初本塁打に初猛打賞を記録。ようやくプロとしてやっていく自信をつけた。

 そんな矢先に転機が訪れる。翌年のシーズン途中、7月にオリックスへトレード。優勝争いの真っ最中だったチームに加わった。ここで忘れられない試合を経験する。2014年10月2日のソフトバンク戦。優勝のかかった一戦で、延長十回1死満塁のピンチで三塁の守備に就いていた場面だ。

 「絶対捕るしかない。ホームで殺す。ゲッツーを取るしかないですから。緊張がすごかった。結局、サヨナラ負けで優勝を逃すんですけど、あれ以上のプレッシャーは野球人生の中でないですね」

 2015年には球団8000号となる一発を記録。この年は35試合で4本塁打を放ち、いよいよ開花のときを迎えたかに思えたが、翌年はケガに見舞われ、次第に出番を減らしていった。

 9年間のプロ生活を振り返って「楽しかったですよ」と“プリンス”と呼ばれたハンサムは笑顔で話した。

 来季からは社会人に進む。「違うプレッシャーを経験できるのは楽しみ。そのプレッシャーに負けないようにやりたいですね」と前を向いた。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

野球最新ニュース

もっとみる

    スコア速報

    主要ニュース

    ランキング(野球)

    話題の写真ランキング

    写真

    デイリーおすすめアイテム

    リアルタイムランキング

    注目トピックス