野球の力で復興を…いわき市の熱き挑戦

 東日本大震災から5年目の今夏、福島県いわき市で、野球のU-15(15歳以下)ワールド杯が国内で初めて開催される。地震、津波、原発、風評被害という苦しみにさらされてきた同市は、「野球の力で復興を!」を合言葉に2013年にプロ野球のオールスター戦を開催した。その経験を糧に挑むW杯では、大会を通じて、国内外に福島の今を発信することを目指す。さらに、その先には、2020年東京五輪の野球競技の誘致を見据えている。

 プロ野球のスター選手が躍動した球宴から3年。いわきグリーンスタジアムにこの夏、将来のスター候補生たちが集う。

 世界12カ国の代表たちを迎える準備は着々と進む。震災以降、雨水がたまりがちになっていたブルペンには色鮮やかな人工芝が敷かれ、外野擁壁の補強工事は完成が近づいていた。

 サポート体制も整いつつある。地元の中学生たちは、同世代の代表たちを学校単位で応援する「1校1国」運動を展開し、世界を体感する予定だ。「できるだけ多くの人に関わってもらいたい。野球をやっている子供も、そうでない子供にも世界を身近に感じて国際的な視野、見聞を広げてほしい」。球宴に続き、W杯の運営にも携わる、いわき市役所の柳澤潤さん(41)は期待を込める。

 福島第1原発から南に40、50キロの距離に位置するいわき市は、津波や避難生活による体調悪化で461人が犠牲になった地域だ。同市は、震災後に「野球の力で復興を」のスローガンを掲げて球宴の誘致に取り組み、13年、地域が一体となって夢舞台を成功させた。被災者の捜索活動や救援を行う自衛隊の宿営地に変わっていた球場は本来の姿を取り戻し、国内に福島の「安全・安心」を発信することにもつながった。

 球宴の成功を糧に、同じ舞台で開催されるW杯は、国内のみならず、海外に広く福島の現状を伝える重要な役割を担う。

 震災から5カ月後の11年8月、柳澤さんはメキシコで開かれたU-16W杯の日本代表に帯同し、現地で「フクシマに人が住んでいるのか」と問われた経験がある。今大会の開催地選定にあたっても、主催者側には当初、原発事故の発生した福島での開催を危惧する声があったという。市側は、正確な放射線量のデータや復興計画を提出して理解を求め、復興の担い手となる子供たちが古里に誇りと自信を持つ必要性を訴えた。

 震災から5年。爪痕は今なお残る。原発周辺地域からは2万4千人が同市で避難生活を送る。津波被害に遭った沿岸部には、ブルドーザーやダンプが行き交う日常がある。小中学生の数は減少。野球が盛んだった地域にもかかわらず、震災以降の競技人口は半減。市内39中学校のうち野球部があるのは29校に減った。

 地域を覆う閉塞(へいそく)感。年月と共に進む風化。それらを打開するためにも、W杯という新たな夢を共有し、未来につなげることが必要になる。「野球の力で復興を」のメッセージは再び意味を持ってくる。

 その先に目指すのは、「復興五輪」と位置づけられた東京五輪だ。野球は、W杯終了後の8月に追加種目として復活する見通しで、いわき市は一部の試合開催を求める方針。W杯を体験した子供たちが、4年後に何らかの形で五輪に携われれば-と夢は広がる。

 柳澤さんは言う。「まずは、精いっぱいのおもてなしでW杯を成功させて、五輪につなげられる力をつけたい」。未来の復興の担い手となる子供たちと共に、復興という希望を抱いて。夢をつなぎ、世界に、福島の今を発信していく。

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