【選手権100回大会企画38】徳島の高校野球
徳島県の高校野球史では、池田の活躍がさんぜんと輝いている。
1974年センバツは「さわやかイレブン」と呼ばれた部員11人の活躍で準優勝した。
2度目の夏の甲子園となった79年の第61回大会は、準決勝で浪商と対戦した。牛島和彦(元中日など)-香川伸行(元ダイエー)のバッテリーを擁する強豪を、2-0で破って決勝へ。嶋田宗彦(元阪神)を擁する箕島に、八回に逆転され、3-4で準優勝に終わった。
80年代は“黄金時代”だった。82年の第64回大会は、怪物と呼ばれた4番・畠山準(元横浜など)、3番・江上光治&5番・水野雄仁(元巨人)の2年生コンビが形成したクリーンアップを中心とした「やまびこ打線」で旋風を巻き起こした。
準々決勝は優勝候補の早実と対戦。エース・荒木大輔(元ヤクルトなど)に2本塁打17安打を浴びせ、計20安打14点で大勝した。
決勝も緻密な野球が持ち味の広島商に、18安打12点で大勝。県勢にとって初の夏の甲子園優勝をもたらした。
翌83年センバツも、エースで4番となった水野と、3番主将・江上中心に、史上4校目の夏春連覇を果たした。
83年の第65回大会にも出場し、史上初の夏春夏連覇を目指した。準々決勝では、水野が中京(現中京大中京)・野中徹博(元中日など)と投げ合いを演じて3-1で勝利した。
甲子園3連覇が現実味を帯びてきたが、準決勝でPL学園に屈した。桑田真澄、清原和博(ともに元巨人など)を擁するPL学園に0-7で敗戦。水野が桑田に本塁打を打たれ、強打線が完封を許し、主役の座を明け渡す敗戦となってしまった。
徳島県勢は池田が全国的な注目を集めたが、強豪が多い。70年代までは徳島商が、県内の高校野球の中心だった。
37年の第23回大会で、県勢として夏の甲子園に初出場。47年センバツでは、県勢として春夏通じて初の甲子園優勝を果たした。
58年の第40回大会は、エース・板東英二(元中日)が奮闘を見せた。準々決勝・魚津戦は、大会史上初の延長18回引き分け再試合。再試合に勝利すると、準優勝を果たした。
93年の第75回大会はエース・川上憲伸(元中日など)を中心に、33年ぶりに8強へ進出した。
鳴門は50年の第32回大会で準優勝し、51年センバツを制した伝統を持つ。近年も2012年から5年連続代表となった。
16年の第98回大会では、2回戦で同年センバツV・智弁学園を破って8強まで進み、存在感を示している。
鳴門工(現鳴門渦潮)は、2000年代に入って活躍を見せた。02年センバツで準優勝。同年の第84回大会、05年の第87回大会で2度8強入りした。
12年4月に鳴門第一と統合して鳴門渦潮となり、17年に新校名で初出場。今後の活躍が期待される。
ちなみに、徳島県の代表校は全て公立校。私立は1校も出場していない。私学で県大会の参加は、生光学園のみ。2度、決勝へ進んでいるが優勝は果たせていない。
◆徳島県勢の夏の甲子園アラカルト
【出場回数ベスト5】
1位・徳島商23回
2位・鳴門11回
3位・池田9回
4位・鳴門工5回
5位・小松島西2回
【勝利数ベスト5】
1位・徳島商21勝
2位・池田20勝
3位・鳴門12勝
4位・鳴門工8勝
5位・新野2勝
【最高成績】
優勝・池田(1982年)
【通算成績】
121試合
65勝55敗1分
勝率・542
【主な監督】
蔦文也…池田の元監督。春夏通算14回の甲子園で優勝3回(春2回、夏1回)。甲子園通算37勝(11敗)は歴代8位タイ。
高橋広…鳴門工の元監督。春夏通算8回の甲子園へ導き、02年センバツで準優勝。
森脇稔…鳴門監督。春夏通算8回の甲子園に出場し、3度の8強へ導いた。
中山寿人…新野、徳島商の元監督。両校で春夏通算6回の甲子園に出場し、徳島商では97年の第79回大会で8強へ進出。
◆デイリー独断!徳島の高校を卒業したプロ野球選手ベストナイン
【先発】徳島商・川上憲伸(元中日)
【中継ぎ】鳴門・潮崎哲也(元西武)
【抑え】生光学園・武田久(元日本ハム)
【捕手】鳴門工(現鳴門渦潮)・里崎智也(元ロッテ)
【一塁手】池田・畠山準(元横浜)
【二塁手】鳴門第一(現鳴門渦潮)・藤田一也
【三塁手】鳴門・八田正(元阪急)
【遊撃手】徳島商・平井三郎(元巨人)
【外野手】撫養(現鳴門渦潮)・長池徳士(元阪急)、鳴門・秦真司(元ロッテ)、徳島商・広永益隆(元オリックス)
(ポジションはプロでの登録守備位置、所属は現役の最終所属)