【W杯特集1】香川 一番大事な助言

 【SAMURAIの素顔1・香川真司】

 サッカーW杯ブラジル大会は、23日で開幕まであと50日。デイリースポーツでは「SAMURAIの横顔」と題して、大会に挑む日本代表に迫る。1回目はMF香川真司(25)=マンチェスター・ユナイテッド。2006年J1C大阪入団から欧州へ旅立つまで、香川の成長を間近で見守り続けたのが、選手寮の寮長を務める秀島弘氏(75)だ。神戸・有馬温泉の老舗旅館「兵衛向陽閣」で総料理長まで務めた腕利きの料理人が香川に送った「人生で一番大事なアドバイス」とは‐。

 ドイツW杯イヤーが幕を開けた06年1月、C大阪選手寮に、あどけなさの残る一人の少年が入寮した。香川真司、16歳。同じ日に入寮した“天才”柿谷曜一朗ら同期入団の選手と比べると、どこか影の薄い存在だった。

 「あいさつひとつとっても派手さがない。もさっとした感じでね、この子は本当にサッカーができるんかいなと思いました。先輩に『おい、真司!踊らんかい』と言われて、よく腰を振って踊っていました」。当時の印象を振り返り、秀島氏は懐かしそうに笑った。

 プロ入り当初の香川はとにかく食が細く、他の選手が20分ほどで食べ終わる食事を2時間半近くかけて食べていたという。午後6時半からの夕食に、いつも最初に現れて最後まで残る。そんな生活が3カ月ほど続いた。ただ、食事を残すことは絶対になかった。

 神戸・有馬温泉の老舗旅館「兵衛向陽閣」で総料理長を務めた経歴を持つ秀島氏は、03年に寮長に就任して今年で12年目。料理人を目指し15歳で故郷の佐賀を後にした自身の境遇と、生まれ育った神戸から小学校卒業後に仙台へサッカー留学した香川に通ずるものがあったのか、秀島氏は事あるごとに助言を送った。

 「私は球を蹴ったことがないから、技術者として話をしました。技術者というのは料理人もサッカー選手もだいたい同じ。あの子は何かにつけて言うことを聞いてくれた」

 07年のある試合後のインタビューで「後半疲れてバタバタした」と口にした香川に対して、秀島氏は「それなら走り込まんかい」と叱咤(しった)した。すると香川はオフの間、正月三が日を除いて毎日30キロを走り込んだという。「5、6キロ走るのかと思っていたら違うんです」。徹底した香川の姿勢に、秀島氏は目を丸くした。

 「人生で一番大事なアドバイス」‐。秀島氏がそう語る出来事がある。27得点を挙げJ2得点王に輝き、C大阪のJ1昇格に大きく貢献した09年オフ、香川のもとにはドイツから複数のオファーが届いていた。12月のある日、香川が秀島氏の部屋を訪れた。移籍に関する書類を代理人に送るためFAXを借りたいというのだ。秀島氏は首をかしげた。自分の部屋にもFAXはあるはずなのに。「何か私に聞きたいことがあるんじゃないかと思いました」。去就について尋ねたところ、香川は海外移籍への揺れる胸の内を明かした。

 「俺やったら今は行かない。やめとけ」

 秀島氏は迷いなく言い切った。香川は1カ月前の09年11月に、右足第5中足骨痛のため内固定手術を受けたばかりだった。さらにシーズン途中の欧州移籍となれば定位置争いも熾烈(しれつ)を極めることが予想される。

 「そんな状態で行って役に立つと思うか。外国に乗り込むなら命懸けで行かなアカン。せっかくJ1に上がったんやから、一皮むけて7月に万全の体で行け。でも決めるのはお前や。両親とよく相談して決めなさい」

 年が明けた10年1月、香川のC大阪残留が発表された。「また私の言うことを聞いてくれたのかな」。香川の決断に秀島氏は胸をなで下ろした。迎えた自身初のJ1で、香川は開幕から11試合7得点とゴールを量産。秀島氏の助言通り「一皮むけて」ドルトムントへの移籍を果たした。

号泣に驚いた

 ドイツへ旅立つ朝、香川は母親とスカウトとして香川獲得に尽力した小菊昭雄コーチ(現C大阪強化部課長)の3人で寮を訪れた。「半年間待ったんやから思い切ってやってこい。絶対大丈夫や」。はなむけの言葉を掛ける秀島氏にしがみついた香川の目からは、大粒の涙があふれていた。「小学4年生から泣いたのを見たことなかったと、お母さんもびっくりしていました。私との間に、込み上げてくる何かがあったんでしょうね」

 香川は今も帰国するたびに寮を訪れる。「昨年の7月にも『寮長、腹減った。飯食わせて』と言ってやって来ました。けっこう私に甘えるんです。2人で抱き合うんですが、ジーンと伝わるもんがあります」。秀島氏はそう話して相好を崩した。

 ブラジルW杯を目前に控え、香川は予想だにしなかった苦境に立たされているが、秀島氏に不安はない。「技術者は壁に当たった時、もう一回初心に帰るといいものが見えます。あの子はマンチェスターで26番をつけている。セレッソでの背番号で、初心に帰ろうという表れ。絶対に自分で打開します」

 料理人とサッカー選手。年齢差はちょうど50歳。祖父と孫のような関係だが、2人は強い絆で結ばれている。秀島氏は言った。

 「あの子は私の宝です」‐。

 ◆香川真司(かがわ・しんじ)1989年3月17日、神戸市垂水区出身。FCみやぎバルセロナユースから05年に高校2年でC大阪と仮契約。07年、J2鳥栖戦でJリーグ初出場。08年には平成生まれとして初のA代表に選出され、同年10月のUAE戦でA代表初ゴールを挙げる。09年、27得点でJ2得点王。10年7月、独1部ボルシア・ドルトムントに完全移籍。12年6月に英プレミアリーグ・マンチェスター・ユナイテッドに4年契約で完全移籍。07年U‐20W杯、08年北京五輪にそれぞれ飛び級で出場。代表通算54試合17得点。172センチ、63キロ。

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