元バレーボール日本代表選手の今 創業142年老舗海運会社の社長として奮闘中

 「ずっとバレーしかしてなくて、引退後もずっとバレーに関わっていくんだろうなと思っていました。まさか、こんな人生になるなんて」。18歳でバレーボール日本代表入りし、1992年バルセロナ五輪にも出場した南克幸さん(48)は今、創業142年になる「加藤海運」(神戸市中央区)の社長として国内外を飛び回る。

 幼稚園の時、1972年の「ミュンヘンの奇跡」の立役者として五輪の金メダルを受ける父・将之さんの映像を観て、背中を追い始めた。近くにクラブチームがなかったため水泳で体を作り、中学2年でバレーを始めると宇部商高、法政大から当時2部の旭化成へ。200センチの長身からの攻撃やブロックを武器に昇格に貢献した。

 華々しい活躍の一方で、「日の丸の重責は言葉にできないほどだった」と振り返る。バルセロナで世界の頂に触れ「次は金」と臨んだアトランタ五輪(1996年)はまさかの最終予選敗退。今も脳裏に焼き付く苦い記憶とともに日本代表はその後、長い低迷期に入り「自分たちがその原因の一端を作ってしまった」と悔やむ。

 再起を期す中、2006年には突然チームの休部(その後解散)が伝えられる。この先どうなるのか「生まれて初めて、本当に足が震えました」と振り返る。チームも空中分解しかけていたが、それでも主将として、最後の全日本選手権を前に全員を居酒屋に呼び出し「もう一度優勝しよう」と訴えた。チームは奇跡の“復活”を遂げ、優勝候補筆頭を破る大金星を挙げた。

 その後、大分に出向という形で移籍し、再び代表入りし五輪で金メダルを取ることを目標に現役を続けたが、2008年に37歳で引退。旭化成本社に戻り営業部課長に任ぜられた。これまでバレー一筋だったため「小学校漢字も危うかった」ほどだったが、新聞を必死で読み、誰より早く出社し、誰より遅くまで働いて仕事を覚え、現場の工場の人とは膝をつき合わせ、信頼関係を育んだ。

 そうした努力が実を結び始めた矢先に、加藤海運前社長だった妻の父が倒れ、2013年2月に跡を継いだ。またも0からのスタートだったが「バレーもチームプレー。経営と似た部分がある。目標を立て、いつまでに、何をするか。人が嫌がることを買って出て、皆が『会社』というコートで全力を出し切れるようにしたい」と南さん。「中小企業は人が財産なんです。社員が誇れる社長や会社になり、お客様に信頼され、次の代にバトンを繋ぐのが私の役目」。現役時代と変わらぬ爽やかな笑顔は、実業家としての自負心に満ちていた。

(まいどなニュース・広畑 千春)

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