【野球】もしも、神戸ドームができていたら オリックス優勝争いの中で思う
ほっともっとフィールド神戸。五回終了時、天然芝のグラウンドを花火が照らす。大きな拍手に包まれるスタンド。今季は雨天中止2試合があった影響もあり、6試合の開催にとどまった。球団職員がつぶやいた。
「アレができていたら全然違ったと思うんですよ」
無念というか、残念というかそんな表情だった。
アレとはかつて、兵庫県神戸市に計画されていた神戸ドームのことだ。
1990年6月19日のデイリースポーツの1面に衝撃的な見出しが躍った。
『オリックス、神戸ドーム移転計画判明』
当時の記事によれば「1996年ポートアイランドのレジャーワールドに完成。笹山神戸市長が誘致に自信」とある。
95年に阪神・淡路大震災があり、神戸は大きな被害に見舞われた。それでも97年に開かれた『オリックス・ブルーウェーブを激励する会』では神戸商工会議所・牧冬彦会頭が「神戸にもぜひドーム球場が必要」と実現を呼び掛けた。オリックスの宮内義彦オーナーも「地元からご支援いただけるならうれしい限り。新たな神戸のシンボルに」と期待を寄せた。
震災からの復興のシンボルに、との声も上がるなど機運は盛り上がっていた。
ところが、その声は次第に小さくなっていく。その間に2001年ウイングスタジアムが完成、06年の神戸空港開港でまったく聞かれなくなったという。
「ブルージェイズの本拠地スカイドーム(現ロジャーズセンター)を参考にした完成予想図も見ました。アレができていたら神戸は盛り上がったと思います」
ドーム建設予定地の最寄りは神戸最大の繁華街である三宮。JRだけでなく、阪急、阪神の私鉄もターミナル駅がある好立地。東は大阪、京都、西は姫路からの集客が見込める。神戸空港からもポートライナーで結ばれており、全国各地あらゆる場所からのアクセスに優れている。
もしも、神戸ドームが完成していたならば、三宮が盛り上がるのはもちろん、周辺の公共交通機関、繁華街など相乗効果は計り知れない。
本業の野球もソフトバンクの福岡、楽天の仙台、北海道の日本ハムのように地域密着球団として地元に愛されていただろう。当時を知る球団職員は今もことあるごとに思いだし、残念がっている。
1995、96年。『がんばろう神戸』の合言葉の下、熱狂した三宮。以来、25年ぶりの優勝へ向け、し烈な争いを繰り広げる中嶋オリックス。もしも神戸ドームができていたならば、今ごろはどんな風だったのだろうか-。(デイリースポーツ・達野淳司)