【野球】星稜「☆」マークに込められた思い サッポロビールと間違えられた?

 夏の甲子園は履正社の優勝で幕を閉じ、星稜が目指した北陸勢初制覇の夢は持ち越しとなった。今大会中、甲子園球場内の甲子園歴史館には、ある星稜ゆかりの品が寄贈された。1979年夏の甲子園3回戦で箕島(和歌山)と星稜(石川)が延長十八回を戦った時と同じデザインのユニホームと、当時の山下智茂監督(現名誉監督)が着ていた監督用のグラウンドコートだ。

 現在の星稜の帽子にある「星」に「☆」が重なったマークが誕生した当時は、学校名かイニシャルが主流だった。高野連からは「サッポロビールの宣伝か?」とあらぬ疑いをかけられそうにもなった珍しいものだったが、雪深くハンディの大きい北陸から「輝く星になれ」という山下監督の思いが込められたマークだ。そして、そのマークが入った監督用グラウンドコートが作られた。今回寄贈されたのは、その“初代”となる。

 寄贈したのは延長十八回の代にマネジャーを務めていた谷村誠一郎氏(57)。監督用グラウンドコートは谷村氏が歩んだ野球人生の原点でもある。

 山下氏はかつて「谷村がいたから延長十八回があった」と語っている。若き日の山下監督はスパルタで、選手は厳しい指導に耐えかねて、練習をボイコットする事態になった。山下靖主将が責任感から体調を崩すなど緊急事態の中、縁の下の力持ちとして主将を支え、監督と選手のパイプ役を務めたのが谷村マネジャーだった。チームはまとまりを取り戻し、甲子園へとたどり着いた。しかし、当時は記録員がベンチに入れない時代。山下監督は谷村マネジャーの卒業時、その労をねぎらって自身のグラウンドコートをプレゼントした。

 谷村氏は恩師の背中を追って石川県で高校野球の指導者となり、部長や監督を務めた。甲子園には届かなかったが、15年には高野連から育成功労賞も受けている。今回、寄贈を決めた理由について、谷村氏は「私が持っているより歴史館に保管してもらった方がいいと思った」と語った。その表情からは、このグラウンドコートが持つ意味を次の世代に引き継ぎたいという思いが垣間見えた。

 星稜OBの松井秀喜氏は今回の準優勝にあたって「目標は全国制覇かもしれませんが、星稜高校野球部のモットーは、あくまでも、野球を通しての人間形成です」とコメントした。山下氏は決勝後、悔しさをにじませながらも敗戦を受け入れ、「厳しさが人を育てる。『耐えて勝つ』だね」と改めて自身のモットーを口にした。

 40年前、全国制覇の夢を込めて「☆」のマークが作られた。しかし、星稜ナインにとって勝利だけがゴールでないことは、奥川ら準優勝ナインの笑顔と涙からもわかる。帽子の上の「☆」をキラキラと輝かせてきたのは、長く受け継がれた“人づくり”の理念なのだろう。(デイリースポーツ・船曳陽子)

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