沖縄と神戸をつなぐ具志堅ファミリー

 阪神・淡路大震災の発生から20年が経過した2015年。被災地から遠く離れた沖縄県で、被災地・兵庫県神戸市へ思いをはせる音楽グループがいる。

 「具志堅ファミリー」。三線とギターの父・哲(60)、ボーカルの母・ムツ子(48)、三女・シオン(21)、四女・ホサナ(18)の沖縄在住の家族4人で構成される音楽グループだ。

 家族だけで活動を行う「具志堅ファミリー」のルーツは、44年前の1968年までさかのぼる。16歳だった哲が、バンドを結成したことが全ての始まりだった。結成当初は沖縄の米軍基地外で米兵相手に音楽活動。米国の曲を演奏し、給料を稼いだ。1984年にムツ子がボーカルで加入すると、米軍基地内での演奏も始まった。

 2人は間もなく結婚。長女が誕生した1986年にバンドは解散した。それでもその後も2人は音楽活動を続け、生まれてきた6人の子供をメンバーに加えながら活動を継続。家族での音楽活動は哲の夢でもあった。

 やがて、現在の4人グループとなり、2012年の沖縄国際映画祭で行われた音楽オーディションでグランプリを受賞。CDデビューを果たした。

 そんな彼らがなぜ、神戸を意識するのか。こちらもルーツが深い。哲は18歳の時に、集団就職で初めて沖縄を出た。当時は米国の統治下。パスポートを持って、本土の土を初めて踏んだのが神戸だった。期間限定の仕事だったため、半年で神戸を離れたが、初めて沖縄以外での生活となった神戸は、忘れられない思い出の土地だ。

 その後、沖縄の歴史に興味を持っていた哲は、過去の沖縄と神戸のつながりを知った。第2次世界大戦末期で、米軍の沖縄上陸直前の1945年1月。沖縄知事に着任した神戸出身・島田叡(あきら)の存在だ。

 当時の知事は選挙で選ばれるのではなく、国が選出する官選だった。島田は官選による最後の沖縄県知事。死を覚悟して赴任すると、県民の疎開や食料調達に尽力した。「具志堅ファミリー」は、島田の活動以上に敬意を示しているのが、彼の言葉だった。

 ムツ子さんはしみじみと話す。「当時の沖縄の人は『米兵が攻めて来たら自決しろ』と言われていたそうです。でも、島田さんは『生きろ』とおっしゃったそうです。時がたって、今となってあの言葉が生きて、立ち上がれることもあると思うんです」。死と直面した状況で、実直に祖先と向き合ってくれた熱意に心を震わせた。

 また、2012年には東日本大震災の被災地で、太平洋沿岸部の宮城県亘理郡山元町を訪問。阪神・淡路大震災の被災者が、身を粉にしてボランティアに励む姿に、島田の姿を重ね合わせた。

 2014年10月には島田の母校・兵庫高校を訪れ、島田の顕彰碑に手を合わせた。いつしか2人の娘も自然と神戸を意識するようになっていた。

 悪夢のような震災から20年が経過したが、被災地、被災者には今も傷が残っている。それでも家族、仲間を信じて、前に進んでほしい。かつて、島田が沖縄を勇気づけてくれたように-。「具志堅ファミリー」が奏でる音楽には、そんなメッセージも込められている。(デイリースポーツ・西岡 誠)

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