1985年のピエール瀧 虎テスト秘話

 右肘関節炎のため宜野座キャンプを一時離脱していた阪神・西岡剛内野手(29)がチームに再合流し、13日から練習に参加した。「西岡選手のケガ(故障)、大丈夫ですかね?」。“開幕OK報道”が出る直前の11日夜、都内で行われたブルーリボン賞授賞式で、西岡の回復具合を気にしていたのが助演男優賞のピエール瀧(46)だった。映画の話で持ちきりの会場で、我々は、居酒屋の野球好きオヤジ的会話を局地的に繰り広げていた。

 瀧は「阪神ファンというわけではない」というのだが、続いて出た言葉が「掛布さんが反対しているアレ、なくなっちゃうんですかね?アレ、やめることはないですよ。やって欲しいなぁ」。瀧は“アレ”、つまり、西岡らが発案し、昨年話題になったパフォーマンス「グラティ」のポーズをして見せた。それでも阪神ファンじゃないと言うのか。

 いぶかる私の視線に対し、瀧は「気にはなります。やっぱり阪神がセ・リーグで1番、気になる」と微妙な立ち位置を説いた。確かに、“○○ファン”とか“○○党”とか言い切らないことで、対象への目線が柔軟かつニュートラルとなる。思い入れが強すぎると、見えるものも見えなくなる。“遊び心”をなくしてしまう。

 そのスタンスで、29年前、瀧は阪神の入団テストを受けていた。これまでメディアで公言されてきたエピソードではあるのだが、阪神タイガースをアイデンティテイとするスポーツ紙として、この話をスルーするわけにもいくまい。話を聞いた。

 「高校(静岡東)時代は野球部で、5番ファースト。3年の夏、静岡県予選3回戦で両チーム32安打の乱打戦の末に負けました。ファーストゴロが顔面に当たって痛かったのが最後の思い出です」。甲子園は遠かった。「僕が高校3年だった1985年に阪神は優勝しましたが、入団テストも甲子園球場でした。高校生の間に、甲子園の土を踏みたいがために受けました」。“思い出づくり”の受験だったが、やれることはやった。

 「1次テストはパスしたんです。遠投で80メートル、50メートル走が7秒5だったかな。野球をやっていれば、それくらいは。それでバッターボックスに立って打つことができた」。結果はともあれ、瀧は甲子園でバットを振るという悲願を果たした。

 「1985年」は、電気グルーヴ・瀧の人生にとってのエポックだった。今回の助演男優賞受賞会見では「6番に佐野(仙好)がいるからいい、みたいな。6番だからこそ、という」と、85年の阪神日本一に貢献した名脇役を自身の指針としていた。

 ちなみに、85年夏の甲子園で全国制覇を遂げたPL学園の“KKコンビ”は瀧と同学年。高校野球界では雲の上の存在だった。それを意識したかどうか、瀧が率いる草野球チームの名は「ピエール学園」という。=一部敬称略

(デイリースポーツ・北村泰介)

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