「バンクーバー五輪・男子フィギュア・フリー」(18日)
二人三脚の歩みが、日本男子初の偉業に到達した。中学2年の時から高橋を指導する長光歌子コーチ(58)は、関大進学以降は兵庫・尼崎市の自宅に下宿させ、メダルへの挑戦をサポートしてきた。ともに笑い、ともに泣き、けんかも数え切れないほどしてきた実の親子以上の絆でつながった師弟。トリノの惨敗から4年、たどりついた2度目の夢舞台で、2人にはある約束があった。
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この五輪で、最高の演技を捧げたい人がいた。高橋が中学2年生の時から指導を受ける、長光歌子コーチだ。
その年の夏、仙台で行われたジュニア合宿で、長光コーチの振り付けた曲が課題になった。曲目は戦時下のピアニストの恋愛を描いた「ワルソー・コンチェルト」。「子供に踊りこなすのは無理」だと思っていたコーチの前で、大人顔負けの表現力で踊りきった少年がいた。それが高橋大輔だった。「この子は絶対に世界を獲れる選手になる」、そう直感した。そこから二人三脚での師弟関係が始まった。
苦難もあった。高橋は08年10月にジャンプで着地をした際に、右ひざの前十字じん帯を断裂する大ケガだった。昨年2月、辛いリハビリを投げ出し、約10日間“失踪”(しっそう)した。もうフィギュアは辞めようかとも思った。
決意がつかないまま、ふらりと戻ってきた高橋に、長光コーチは言った。「辞めたかったら、辞めてもいい。必要なところには私が謝ってあげるから。心配しないで。フィギュアスケートを辞めても、私にとって大輔は大輔だから」。優しく諭すような声が、心に染み入った。「この人に絶対そんなことをさせちゃいけない」。高橋は再びリンクに帰ってきた。
これまでの集大成と誓ったオリンピックの前、2人には約束があった。これまで演技でコーチを泣かせたことはなかった。「泣かせてもらいたい」と話すコーチに、高橋は「絶対泣かせてみせる」と誓った。だが、4回転ジャンプの失敗もあり、泣かせるところまではいかなかった。「『また泣けなかった』と言われちゃいました。まだ辞められないですね。この銅メダルで先生に恩返しできたとは思わないから」。すぐに4年後とは言えない。それでも2人の歩みにはまだ続きがある。











