世界に目を向けさせたクラマーさん

 日本サッカー界の礎を築き「日本サッカーの父」と呼ばれた、デッドマール・クラマーさん(享年90歳)が9月17日、ドイツで亡くなられた。日本にJリーグができるよりずっと前、Jリーグの前身である日本サッカーリーグ(JSL)創設を提言した、日本サッカーの大恩人の名前は当然知っているが、その功績を詳しく知っているとはとてもいえなかった。クラマーさんの死去が伝えられ、日本サッカーの各方面に話を聞くと、あらためてその偉大さを感じることになった。

 2020年ではなく、64年の東京五輪に向けて招へいされたクラマーさんは、60年に初来日。日本代表を情熱的な指導で強化し、同五輪で8強入りを達成。メキシコ五輪の銅メダル獲得につながった。その後は、全国リーグ開催の必要性を説き、JSLがスタートした。日本に近代サッカーの基礎を植え付け、現在の発展につながっている-。調べれば誰でも分かる話が、記者の知識の程度だった。

 自分が生まれる前の話なので、ずいぶん遠い昔に感じる。だが、実際にクラマーさんから指導を受けた人の話を聞くと、その人間性が浮かび上がってくる。

 日本協会の大仁邦弥会長は「クラマーさんの指導?受けたことがあります。怖かったですね。インサイドキックを何度も何度も繰り返し指導されてね。基本を徹底的に反復練習した」と思い出を語った。そして「それは今の日本代表にも受け継がれていることだと思います」。体格面で劣る日本選手が、技術や敏しょう性に長所を見いだすスタイルは、世界と日本を共に熟知するからこそたどり着く答だと思う。日本サッカーの“目”を、世界へと向けるきっかけを、クラマーさんが与えたのではないか。

 さらに印象的だったのが「人間教育」という面だ。来日は終戦から15年後のこと。サッカーなどの運動を「スポーツ」という言葉よりも「体育」としてとらえる文化も、まだあったように考えられる。だが、日本協会の川淵三郎最高顧問は「クラマーさんは、選手を一人前の紳士として扱ってくれた数少ない指導者」とし「すべてを懸けて、サッカーと人生哲学を伝えようとした指導者を、僕はクラマーさん以外に知りません」と言う。

 当時を知る関係者は「クラマーさんの薫陶は、その時の選手に脈々と受け継がれている。時間がたった今、日本サッカー界への影響は計り知れない」と語った。

 もちろん、直接の指導を受けた人間だけではない。日本協会の中には、JSL出身者も多い。その中には「負けた試合に、来日中のクラマーさんが入ってきた。『負けたからといって下を向かず、次の試合に向けて練習をしてくれ』と言われてね。すごく安心感のある人で、また頑張ろうって思えたよ」という声もあった。

 今では日本代表のW杯出場も最終目標ではない。またクラブ、代表を問わず、アジアの大会ではサポーターは優勝を求める。まだまだサッカー先進国とはいえないが、世界の中での立ち位置は当時に比べて格段に変わったといえる。競技スポーツの最大目標である「世界と戦う、世界に勝つ」ということに主眼を置けば、クラマーさんの存在は、日本サッカーの出発点ともとらえられるのではないか。

 6月、都内のホテルで行われたJSL50周年記念パーティー。クラマーさんは出席を希望していたものの、体調の問題で参加できなかった。その際、届けられたメッセージには、こんな言葉もつづられていた。「日本は私にとって第2の母国です。この国が大好きですし、日本の人々が大好きです」と-。

 日本協会によれば、2014年度の選手登録者数は、全カテゴリーを合わせて96万4328人、フットサルが4万4053人。指導者や審判なども合わせたサッカー人口は137万8035人だという。本当に多くの人間が、サッカーに携わっており、裾野が広がっていることが分かる。

 クラマーさんの情熱は、日本に深く根付いている。「日本サッカーの父」は、どこまでも偉大だった。

(デイリースポーツ・松落大樹)

関連ニュース

編集者のオススメ記事

サッカー最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    スコア速報

    ランキング(サッカー)

    話題の写真ランキング

    デイリーおすすめアイテム

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス