泉谷しげる、昔は覚せい剤身近にあった
シンガーソングライターの泉谷しげる(67)が、清原和博容疑者の逮捕で覚せい剤の害悪が再認識される中、子供時代に使用の誘惑があったことを9日、ブログで証言した。
泉谷が育った戦後はまだ混乱が続き、当初覚せい剤は「ヒロポン」などの名前で合法的に売買されていた。
1951年、泉谷が3歳だった時に覚せい剤取締法が制定されたものの、世間に違法認識が浸透するまでには時間がかかった。
芸能界に入ってから聞いた話として、泉谷は「たしか~1962年頃まで映画界は撮影現場にてヒロポン(覚醒剤)を配ってたとか!」ということを記した。
そして自らは「まだ14才のころ まわりの大人はワルな雰囲気を持ってる者おおく街の盛り場で『兄ちゃん1本打っとくか?元気になるよ』とフツーに声かけて来たもんさ」と、遠い日を思い起こした。
周囲に当たり前のようにあった覚せい剤。しかし泉谷は「中学生のオイラは、成長ざかりで寝るのが大好きな頃さ。何日も眠らないで働く労働なンゾいらないし、ナニより注射が大キライだったからね~」と手にすることはなかったという。
思えば危ない環境で育ったわけだが「嫌いが身を助けたかも!」と、今では注射嫌いの自分に感謝しているようだ。
覚せい剤取締法は、戦時中に軍事工場などで使用されたアンフェタミン類が戦後、大量に市場に出回り、中毒者が増えたため、1951年に制定された。