渥美清のイジリにヤキモチを焼くオヤジ

 アメリカのサイレント喜劇の王様と言えばチャップリン、ロイド、キートン。戦前の日本の喜劇王はと言えば、エノケン、ロッパ、柳家金語楼である。親父は、この大時代的な喜劇王という言葉に、とても思い入れが強かった。

 昭和五十年代の日本三大喜劇王は、藤山寛美、渥美清、そして三波伸介であった。西の舞台の王者、藤山寛美。寅さん映画で不動の人気の渥美清。そしてテレビコメディーで最高の視聴率を誇る、三波伸介。生まれた年代も同じで正統な喜劇の系譜でもある。何を隠そう…別に隠していないが、渥美さんと私の母親、つまり初代・三波伸介夫人は初舞台が一緒であった。

 母は赤羽公楽劇場で踊り子としての初舞台を踏んだ。同じ頃、復員兵の強烈な男がコメディアン志望で入ってきた。それが渥美さんである。二人とも浅草に進出する前の話である。よく渥美さんが口にしていた。「芸の世界で一番古い知り合いは河井洋子だ」と。河井洋子が、母の芸名です。

 この「一番古い知り合い」という言葉に親父はいつも引っ掛かっていた。実は親父は、相当なヤキモチ焼きだった。親父と母が一緒になってからも、渥美さんは必ず「伸介より、俺の方が洋子ちゃんと長い付き合いだ!」と言っては、親父の心に火をつけ、からかって喜んでいた。要は、渥美さんも親父のことが大好きだったのだ。 渥美さんの側近たちから聞いた話だが、渥美さんは親父の番組を観て、「伸介のモノマネ」と称して周りを笑わせていたそうだ。それもものすごい上手さだという。

 赤羽時代に話を戻す。公楽劇場の風呂は、ドラム缶の五右衛門風呂。劇場の風呂は踊り子優先。渥美さんは風呂を沸かす係だった。その話をまた、親父の前でする。「洋子ちゃんの風呂の薪をくべたのは俺だ」。カーっとなる三波伸介。笑う渥美清。「裸は見られてないから安心して。」という母。ホッとする親父。三波と渥美の極上のプライベート喜劇。オツカレ!

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