森会長辞任…後任候補の川淵氏とは?「強引」「ワンマン」強烈リーダーシップでJリーグ創設

 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)が女性蔑視ととれる発言をした問題の責任を取り、辞任する意向であることが11日、関係者の話で分かった。12日午後3時からの評議員、理事を集めた合同懇談会で表明する。後任は最終調整に入っており、日本サッカー協会(JFA)元会長で、日本バスケットボール協会の会長としても協会立て直しの実績がある川淵三郎氏(84)が最有力となっている。

 川淵氏の持ち前の強烈なリーダーシップは、一部で「強引」「ワンマン」と非難されながらも、Jリーグ創設の大きな推進力となった。プロ化推進派と慎重派に別れる中、89年にJFA内に「プロリーグ検討委員会」の設置を要請。90年には同委員長に就任した。91年に正式名称を日本プロサッカーリーグ、愛称をJリーグとすることを発表。初代チェアマンに就任し、93年のJリーグ開幕を導いた。

 Jリーグ発足時には当時V川崎(現東京V)の東京移転問題や、企業名を入れないチーム名の呼称を巡って、渡辺恒雄読売新聞グループ主筆と衝突。お互いを「独裁者」と呼ぶなど舌戦になった。後に和解し、18年に出版した著書「黙ってられるか」(新潮新書)では対談している。

 02年にはJリーグチェアマンを退任し、JFA会長に就任。「会長という肩書は重く感じる」とし、「キャプテン」という親しみやすい呼称を採用した。

 キャプテンとしても、ワンマンともとれる変わらぬリーダーシップを発揮した。06年、W杯ドイツ大会敗退後、ジーコ監督の後任監督として当時千葉監督だったオシム氏と交渉中であることを示唆。当時の田嶋技術委員長(現会長)から「世紀の失言」と言われたこともあった。

 川淵氏は1936年12月3日に大阪府泉北群高石町(高石市)で生誕。中学時代は野球部に所属した。52年、大阪府立三国丘高でサッカー部に入部し、FW、MFでプレー。2浪の末、57年に早大に合格。卒業後は古河電工でプレー。大学在学中の58年に日本代表に初選出。64年東京五輪に出場。アルゼンチン戦でゴールを決めている。

 08年6月にJFA会長を退任。その後は日本バスケットボール協会会長、日本トップリーグ連携機構会長などを歴任。サッカーのみならず、日本のスポーツ界の発展に尽力してきた。19年には東京五輪パラリンピック選手村村長になることが決まっていた。

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