アメフット和久が夢のボブスレー挑戦

 来年2月に開幕するソチ冬季五輪まで、7日であと半年となった。“氷上のF1”と呼ばれるボブスレーでは、五輪に向けた戦力アップへ、異種競技選手を対象にしたトライアウトを実施。8日からは長野市内で第2次選考会が行われる。アメリカンフットボールの和久憲三(27)=アサヒ飲料チャレンジャーズ=は、昨年のロンドン五輪を見て五輪出場の夢を抱き、ボブスレーの世界に飛び込んだ。アメフットとボブスレーの“二刀流”でアスリートの究極の夢を追い求める、その挑戦を追った。

 それまでアメフット一筋だった和久が、ボブスレーへの挑戦を決意したきっかけは昨夏のロンドン五輪だった。陸上のウサイン・ボルト、体操の内村航平…光輝く舞台で己の肉体の限界に挑戦する姿に、アスリートとしての本能がうずいた。「自分も体が動くうちに、この舞台に立ってみたい。そう思ったんです」。

 すぐにボブスレー関係者に連絡を取り、自身の身体能力の数値を送った。トリノ五輪日本代表監督の大賀康弘氏の門を叩き、12月にはもう氷上に立っていた。「最初はこけまくりでした。でも頭と肩を強く打ったけど無傷。頑強な体はアメフットのおかげかな」。

 もともと思い立ったら動かずにはいられない男だ。関大を卒業後は、大手証券会社の野村證券に就職。証券マンとして働きながら、クラブチームのアサヒ飲料チャレンジャーズでアメフットを続けた。しかし、米国でプロになる夢をあきらめきれず、09年11月に退社。10年からはNFL挑戦のために単身渡米し、トライアウトを受けてきた。

 「会社を辞めることに、最初は不安はありました。ただ、社会人になって07年に父を、09年に母を病気で亡くしました。2人とも『後悔のないように楽しく生きなさい』と言ってくれていた。いつ自分もそういう時が訪れるか分からない。そう思ったら、そこから迷いはなかったですね」

 現在はトレーナーとして、最低限の収入を得ながら、大阪市内で家賃3万8000円(水道代込み)の部屋に住み、必要とあれば夜行バスでトレーニングにも出かける。決して余裕がある生活ではないが、トレーニングのために必要な経費は惜しまないという。

 もし会社を辞めていなければ…。そんな思いが頭をよぎることもある。ただ、今の自分の取り組みには胸を張れる。「今の倍以上給料があったかもしれないですね。でも、僕には今しかできないことがありますから」。

 アメフットでは11年に8人制の室内リーグ・アリーナフットボールでプロ契約を勝ち取ったが、3年間思うような結果を得ることはできなかった。アスリートとして新たなる進化のきっかけを求め、飛び込んだのがボブスレーの世界だった。

 「今の夢はオリンピックです。ただ、アメフットも辞めるつもりはない。まだNFLに挑戦したいし、チーム(アサヒ飲料)を日本一にしたい。2年後のW杯にも出たいです。そんなに甘くないと言われるかもしれないけど、夢を追いかけ続けていきたい」

 8日からの第2次選考会では、代表候補13人から半分程度に絞り込まれる。直前の合宿ではそりを押すタイミング、姿勢と試行錯誤を繰り返す和久の姿があった。「0・01秒の勝負になる。やれることはすべてやりたい」。全身全霊を懸けた“二刀流”の挑戦、まだ終えるつもりはない。

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