村田兆治さんを悼む 北別府学氏「感謝と心残りと後悔と」忘れられない名球会総会

 プロ野球のロッテで投手として活躍した村田兆治さんが、11月11日に東京の自宅で発生した火事で亡くなった。デイリースポーツウェブ評論家の北別府学氏は、名球会総会で接した際に見せた同氏の“気遣い”を思い出し、感謝の気持ちを綴った。

  ◇  ◇

 まさかこういうことが起きるとは思いもしなかった。ただただ残念としか言いようがないが、名球会の会員として初めて訪れたハワイでの総会を思い出して、家内とゆっくり偲ばせてもらいました。

 当時の名球会は400勝投手の金田さんが会長をされていて長嶋さんや王さん、張本さんらそうそうたるメンバーばかり。そんな人たちと一緒に会議に参加して食事をし、ゴルフができる。

 とはいえチーム内では大将気取りでも、名球会に入ればひよっこだからね。現役時代なら口もきけないような大御所の前で、私も家内(広美夫人)も緊張でガチガチだった。

 村田さんは広島の福山出身。私が投手として何年かぶりの名球会員だったこともあって“よう来てくれたね”と、まるで身内のことのように喜んでくれたんですよ。私もひじを痛めていたので、その苦労を分かってくれていたのかもしれない。

 村田さんの奥さん(淑子夫人)も気を遣ってくれて、小さくなっている家内にいろいろと声をかけてくださった。お茶をしながら亭主対策などもね。“難しいことは聞き流すしかないわよ”みたいに。私も難しい人間だったんでね。(笑い)

 沢村賞の選考委員を務めていたころの村田さんは、先発完投にこだわっていた野球人生そのままに「完投数」を重んじる人だった。今は分業制の時代という声に対しては、「時代ですまされないこともある!」と譲らないこともあった。

 「今シーズンは該当者なし!」という年も。そしてその理由も朗々と述べる。とにかく目指すところの高い人だった。

 そんな村田さんが離島の子供たちに野球を教えている姿は、普通の野球好きの優しいおじさんが、純粋にボールを追いかけている感じだった。

 「どうだ?」と言って気さくに声をかけては丁寧に教える。その教え方も手抜きがないから熱を帯びてくる。

 私も種子島や五島でご一緒させてもらい、“また子供たちに一緒に野球を教えよう”と言われていたけど、その後はこちらの体調が悪くなり、次の約束を果たせずじまいだったのが、今となっては本当に心残りですね。

 私の病気をご心配いただいているとは聞いていたが、体調のいい時に電話なりかけていたらよかったと後悔も残ります。

 渾身の力をボールに込めるマサカリ投法。それで完投するのだから体への負担は計り知れないものがあったと思う。

 自分が実験台になって肘にメスを入れ、その後の道を作った草分け的な人でもある。野球振興にも尽力した村田さんが球界に残した功績は大きい。今は心からご冥福をお祈りするだけです。

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