上田利治氏が死去 80歳 阪急黄金時代築く

 亡くなった上田利治さん
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 阪急(現オリックス)や日本ハムの監督を務めたデイリースポーツ評論家の上田利治さんが死去していたことが2日分かった。80歳。徳島県出身。

 上田さんは捕手として徳島・海南から関西大に進み故・村山実さんとバッテリーを組んで活躍。広島に入団したが、選手としては3年で引退。その後コーチを務め、1971年に阪急に移籍。75年、監督就任2年目で阪急初の日本一に導き、リーグ4連覇を含む5度の優勝、日本シリーズ3連覇を果たし、黄金期を築いた。福本豊氏、山田久志氏、山口高志氏、佐藤義則氏らを育てた。

 一度退任した後81年に復帰し、90年に退団。95年から5年間、日本ハムの監督も務めた。

 監督通算成績は1322勝1136敗116分け、勝率・538。1322勝は歴代7位。2003年に野球殿堂入りした。

 1978年のヤクルトとの日本シリーズ第7戦で故・大杉勝男氏の放った左翼ポール際への本塁打を巡り1時間19分の抗議は有名。選手を褒めるときに「ええで、ええで」というのが口癖だった。

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