ザ・プロ野球選手だった清原和博容疑者
待ち人は突如、暗闇の中から現れた。山のようだと思った。慌てて名刺を差し出した。特に反応はなく、片手で受け取った。そのあと近くに停まっていた高級車マセラティを見つけて、一度足を止めてから清原和博は店へと入っていった。
あれは2004年11月のある晩だった。都内の鍋料理屋で川藤幸三氏の司会による阪神・金本知憲(現監督)、巨人・清原、「東西アニキ対談」の取材を行った。
あの夜のことは、今でも鮮明に覚えている。一緒に食べた鍋の味はまったく記憶にないが、あらゆる話題にユーモアを交え、聞いている者を引き込む絶妙の話術に魅せられた。
阪神担当で見ていた西のアニキは豪快そのものの人だった。ところが東のアニキは異次元だった。常人とは違うと感じさせるオーラと、スケールがあった。
ある記者の名前を出し「あいつの名刺は百万回破いたった。それでもついてきよった」と突き放した言い方で信頼の度をさりげなく表した。自分が渡した名刺がどうなったのかを一瞬、考えたがどうなっていてもいいような気がした。
阪神ファンの話になると「ケガはせえへん。スランプない。1年中絶好調でしょう。これほど強い戦力はないですよ」と絶妙の例えで大爆笑を誘ったりもした。そのどれもが魅力的だった。
球界再編に揺れたころだったが、球界の未来を展望する発言も最後に残した。
「地域性って出てくると思うんですよ。仙台であったり、福岡であったり大阪も1チームになりますから。そういうところで好きな選手を見つけてもらうように選手はファンを意識してプロ野球はやっていかなあかんなと思いますね」
12年経ったいま、パ・リーグの状況を見れば、北海道の日本ハム、仙台の楽天、福岡のソフトバンクと地域に根ざしたチーム作りで見事に定着した。まさに予言通りの状況がある。ユーモアだけでなく、先を見通す頭脳の明晰さも持ち合わせていた。
実はこの対談、掲載日が変更された。巨人残留か移籍かで揺れていたためで、結論が出るまで出せなかった。諸事情もあり出せたのが12月1日の紙面。2、3面で掲載した。1面には「巨人残留 清原謝罪」の見出しが躍っていた。
対談終了後、店の外まで見送りに出た。まだ、マセラティは停まっていた。
「今度、これ買おう」
そう言うと、見送るこちらに笑顔を見せて夜の町へと消えていった。
昭和のイメージと言われるかもしれないが、言葉、しぐさ、どれもがこれぞ、プロ野球選手だった。いつまでも、あのままでいてほしかったと思う。(デイリースポーツ・達野淳司)